前回の記事(『バーチャルYouTuberをもっとすこれ』)で私の推しのVTuberを紹介させていただきましたが、その中で電脳少女シロさんについてもう少し語りたいと思います。
シロさんには「 シロ組 」というファンの総称が存在します。これはシロさんが動画内で自ら呼び出したもので、シロさんの例の属性の為に「 指定暴力団シロ組 」なんていう呼ばれ方も一時期されました笑。しかし、私はこの「シロ組」という存在が、ある種理想的なVTuberとファンの関係性のモデルであると思うのです。
この「シロ組」、構成員であるファンは「豆腐」とも呼ばれ、四角い頭をもった白いヒト型の姿で描かれることが多いです。私はこの「シロ組」というファンコミュニティの構造にシロさんの人気の重要な秘訣があると思っています。なぜなら「シロ組」は「 物語を共有するコミュニティそのものがコンテンツ化する 」 というVTuberモデルの最も上手くいっている一例 だと思うからです 。
VTuberの活動領域は、YouTubeのみならずTwitterにもその大部分が及んでいます。Twitterでの主な活動は、動画の告知、リプライへの返信、そしてVTuberに特徴的な「 二次創作の紹介 」と「 他のVTuberとの交流 」などに分類されますが、私は後者の二つが「コミュニティのコンテンツ化」に重要な役割をもっていると思っています。VTuberが自分の二次創作に描かれた物語をファンと共有することで、よりVTuber自身の物語がファンの間で「共同幻想」のごとく深まり、他のVTuberとの交流もまた物語として共有される、そして、我々「豆腐」達も、二次創作にしばしば登場しシロさん、VTuber達との交流が描かれます。
つまり、ファンに「シロ組」というバーチャルな設定が与えられることで、 ファン自身も物語の一部として命が与えられ、「電脳少女シロ」「シロ組」「他のVTuber」(加えて「VTuber界隈そのもの」)によって構成される多層的かつ包括的な物語が生まれる ...
私、今「バーチャルYouTuber」なるものにハマっています。
去年の12月に出会って以来、この世界にどっぷり浸かってしまって、私の生活バーチャルに半分持ってかれてしまいました。Vオタ路線を順調に歩んで来て、それまで2次元美少女にたいして興味もなかったのに、今や2.5次元の彼らに魅了され続けています。
たったの半年の付き合いですが、
「 尊い 」を覚えて、
「 ガチ恋 」を理解し、
「 美少女おじさん 」というVTuber界の深淵を覗きました。
ひとこと言います。私は異常な人間ではありません。それ以上に、バーチャルYouTuberが人間の価値観を突き破り本能を揺さぶる力をもっているのです。それを語るにここは余白が狭すぎる。
まあそんなことはどうでもいいんです。とりあえず推しを紹介させてくれ。さあ、君も今日からバーチャルの住人だ。
...(若干ネタバレを含むかも)
みなさんは『君の膵臓をたべたい』を読んだことがあるでしょうか?
言わずと知れたヒット作ですし、好き嫌いも分かれる作品でしょうけど、私はこの作品好きです。理由は単純で、主人公の男の子と自分がとてもよく似ていると思ったから。特に、彼が本当に心寄せる女性に対して、彼女の名前でもって彼女を呼べないところとか。
この作品では、主人公の彼と膵臓に病を抱えたクラスメイト、山内咲良との交流が中心となって描かれるのですが、その中で彼は桜良を呼ぶとき、「君」と呼んだり、はたまた何も呼ばなかったりして執拗に名前で呼ぼうとはしません。
それと同じ経験が私にもあって、昔付き合ったある人、本当に特別だったその人のことを、どうしても名前で呼べませんでした。
いつも「君」。当然彼女には怒られました。でも、いくら努力して名前で呼ぼうとしても、なぜか喉のすぐ下でつっかかって出てこないんです。私自身不思議でした。
まあそういうことで、私は作中の彼に非常に親近感を覚えました。加えて、私個人的にあの作品は作者の自伝的な部分もあるんだろうと勝手に妄想してましたので、作者の住野よるさんにも非常に勝手な親近感を覚えることとなりました。いや、少しは共感してくれる人がいるはず.....。
名前が呼べない、不思議ですよね。
たかが名前、されど名前。私自身「名前」というものに特別な意味を見出しているような人間のうちの1人ですが、実際ほんとうに言霊的なナニカでも込められているものと思っていい気がします。
ちなみに、作中のラストの方では、この「名前で呼べない」現象の原因がなんであるか、1つの仮説が与えられています。やはり作者にとってもこの現象は何か意味のあることだったのでしょうか。
それを引用しますと、
...
前回の記事「私の心の中の少女たち」では私のユング心理学を通した体験を書かせていただきました。その内容に関して、「女装」についても思う事があったので書きたいと思います。
(前回の記事を読んでない方はそちらの方もぜひ読んでみてください。)
今この記事を読んでいる男性の皆さんの中に「女装」をしたことがある人はいらっしゃるでしょうか。特に、トランスジェンダーではない男性の方で。
実は私もトランスジェンダーというわけではなく女装の経験があって、(といっても半強制的にやらされて意外に楽しかった、という程度のものですが)そのとき感じたよくわからない女性的な自認識がしばらく引っかかっていたんですね。
そんなとき、私はユング心理学のアニマ論を知って、ビビっとくるものがありました。
要するに、女装というものも自分のアニマを意識下に表すための行動なのではないか、という仮説が思い浮かんだのです。
まあ考えてみればそんなに不思議なことではないですよね。普段社会で「男性らしさ」という常識に振り回される中、女性になりきるということで解放感を得られる、というのも全く不思議ではないですし、「ごく普通のメンタルヘルスケアの1つの方法」として女装を捉えるのは間違ってないと思います。
ひとつ、アニマが現実の異性に投影されることが恋の始まる原因になりうる、ということを考えると、アニマを自分自身に投影する女装は強いナルシシズムの性質を持っていると考えられます。別にこれは批判してるのではなくて、普段外界で自己肯定感を得られないような人でも女装することで自己肯定感が得られるならそれは推奨されるべきものだと思います。
また、女装の話から少し派生して、皆さんバーチャルYouTuberの「ねこます」さんのことはご存知でしょうか?
ご存知でないならばググってみてください。
ねこますさんは個人バーチャルYouTuberの元祖であり、バーチャル世界のアバター文化の立役者だと私は思っています。私が注目したいのはそのアバター文化です。
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先日『ユング心理学入門』(河合隼雄著)を読了しまして、初めて精神分析の一分野を少し深く学ぶことが出来ました。そこで、私が感銘を受けましたユングの「アニマ論」を、私が体験した「心の中の少女」の体験とともに少し語ろうと思います。
※本を1冊読んだだけのにわかなので不正確な情報を含むかもしれません。斟酌していただけると幸いです。
「アニマ」とは 「男性の夢の中に現れる女性像」 のことで、人の無意識下に存在する元型(人の行動様式の根本となる人類普遍のイメージ)の1つとしてユングが提唱した概念です。
ユングはスイスの精神科医で、 「分析心理学」 と呼ばれる精神分析の学派の創始者でもあります。その理論の中には「オカルト」と評される内容も少なくないのですが、そもそもユングの理論は実験などで導き出されたものでなく精神科医としての治療を通して経験的に紡がれたものであるため、 『経験的にそうであると想定できる人のこころのあり方を、ユングなりの言葉で形どった1つの「表現」としての理論』 がユングの心理学なのだと私は思っています。
さて、アニマを説明しようとするとなかなか小難しい話になるのですが、私なりに咀嚼してごくさっぱりに表現すると、
『男性が普段社会的な「男らしさ」といった通念に翻弄される中で知らず知らずのうちに抑圧してしまっている「感情」や「生き方」の現れであって、自分のペルソナ(外的世界に対する「仮面」)に対して精神的なバランスを保つために発達させるもの』
がアニマなのだと思います。(ちなみに女性の中の男性像はアニムスといいます。)まあ、男性の心の中には自身とは対照的な、ある種理想的な女性像があるんだと思ってください。そしてその女性像は時として現実の異性またはモノに投影され、そこから恋やらが始まるのだそうです。 ...
日本エリアにおいて自分の経験に基づいた何かしらの貢献ができるのではないかと思っています。よろしくお願いします。
I have been in charge of : Space business for more than 25 yrs (Geostationary Satellite Control, Satellite Engineering, and Fleet Management) , Broadcasting business for around 10 yrs (currently in charge of developing future content management system). And I am a: Certified Business Carrier Adviser, ...